diploma×KYOTO’12の3日目は、出展学生による講評で1位を決定しました。
2日目までに「機能」・「形態」・「前線」のカテゴリで1位だと思うものを出展学生が投票し、各カテゴリについて上位2人ずつが講評の対象となります。
また、来場者にもアンケートを取っており、一番人気のあるものが講評の対象となります。
結果はこちらです。

出展者を数グループに分けて議論を行い、グループの代表者を毎回選出して講評作品に質問や意見を言い、最後に投票を行うという流れです。
そのことについての感想とかはtwitterのハッシュタグ#dxk12で見られるのでそちらで。
ここでは、上位3作品と、一般投票1位だったNo.113について話します。

Contents

来場者アンケート1位 No.113

タイトルは忘れました。
設計者の故郷浜大津の湖岸沿いの埋立地に活気を取り戻すべく、庁舎やコミュニティ施設を水辺と一体となるよう計画。

彼の案を推すグループはひとつもありませんでした。
リサーチをしっかり行い、素直に形態に落とし込んでいるという印象を受けました。
模型がとてもきれいだったことが、アンケート票を集めた最大の理由ではないかと僕は思いました。
学校の講評会では「3,4年前の卒業設計だったら評価されたかもしれない」と言われたそうです。
パンフレットを見ると、「立ち上がる地平」とか「一枚の地形」とかの造形操作を行なっているようですが、最終的に表れたものはそのような操作を感じさせません。
彼の思いとして、地元の復興のために、わけのわからない(可能性のある)ものは作れないという葛藤があったのではと思います。
従来の価値観においてきれいで楽しそう。でもそれが本当に実現されるのかという強さは感じられませんでした。
diploma×KYOTO’12のテーマ「建築前線」の価値を持つことを設計者が積極的に放棄した作品ではないかと僕は思いました。

ここで講評の前半においてよく出てきた言葉「卒業設計としてふさわしい」とか「建築として」とかについて少し話します。
まず「卒業設計としてふさわしい」とか言う言葉。そんなものにはなんの意味もありません。
僕の中学校ではやたらと「中学生らしい〇〇」といったことを言われましたが、そんなことになんの意味もないことは今になれば明らかです。
そしてそんな何の意味もない事を否定しようとしない人間しかそこにはいなかったのです。
自分のいる世界を外から見るということはとても難しいことですが、「卒業設計としてふさわしい」とか言う価値のない言葉で何かを判断することはとても危険です。
講評会の後半ではそのような言葉はほとんど見られなかったので安心しました。
あと「建築として」について、
多くの人が建築(architecture)と建物(building)を混同していると思いました。
architectureは不可算名詞で、事物の背後にある本質的な構造とでも言うものです。
ソフトウェア設計におけるアーキテクチャを考えるとよくわかります。あとLawrence LessigがCODEで人の行動を操作するもののひとつとしてあげている「アーキテクチャ」も、その考え方に則っています。
buildingは人が中に入ることのできる構築物です。
そのことを混同したまま、「形を与えているから建築だ」とでも言う意見が多かったです。

えーとつまり、前半はわりと短絡的な意見が多かった気がします。では上位3つについて。

1位 No.139 「MATERIALITY ENGINE」

一辺100mの立方体という上限を設け、5つのスケール(柱とスパン)を使い、木/鉄/コンクリートを用いて構築し、そこから除算を行うことを繰り返している。

学校の講評会でこれを見たとき、僕はこれがなにがなんだかわかりませんでした。
3日目に説明を聞いて、「ああ、これは縛りプレイなんだな」と思いました。
言うなれば、「ノーアイテムで敵を一体も倒さずにマリオ最速クリア」みたいなものです。
既存の建築の要素を用いて、建築であるべき極小の構築を行なっています。
なので、「ただの3次元のコンポジションに過ぎない」という批判は意味を持ちません。
構築の方法として、3次元のコンポジションを選択しているだけです。
彼は「人間的なスケールを入れるということが、建築の要素なのでは」と言いました。
昨日の「解像度」の話で言うと、彼は「(今現在における)建築は何によって建築であるのか」を考えて、そこから離れないように作品を作ったのでしょう。
少なくともその点で、価値のある作品だと僕は思います。
つまり、すべてにおいて「なんかすごい建築」なんてものは存在しなくて、ある制限をどうしても与えられる中で、どこまで考えることができるかということに真摯に取り組んでいる。
「なんでもできるはなんにもできないのと同じ」とよく言われますが、そんな感じです。

2位 No.206 「archinfra-architecture as a new energy infrastructure-」

琵琶湖疏水を拡張工事して、中央に小規模発電施設を作るとともに、それを「エネルギー」と共に暮らす施設とするべく、温泉やデイケア施設などを作っています。

「「社会性」を獲得するための言い訳として「エネルギー」という言葉を使っているだけではないのか」という質問がありました。これは1位のNo.139と比してということです。そこで彼は「意味のないものは作りたくないという思いがあった。」と言いました。
ここに僕は「京大フォルマリズム」という言葉の影響を感じずにはいられません。

京大フォルマリズムは、2010年のdiploma×KYOTOで、審査員の藤村龍至さんが、京大の作品に多く見られる特徴を揶揄した表現です。
僕から見ても、2010年のそれらは、印象的な形態を用いているにもかかわらず、「アクティビティが染み出す」など意味不明の供述を行なっていました。
なぜこのような傾向が京大にあらわれているのか?
京都大学の建築学科では、最初の専門的な授業として、高松伸教授指導の鉛筆ドローイングがあります。
安藤忠雄さんや高松伸さんの時代に流行した鉛筆によるドローイングは、強烈な印象を与える表現手段ですが、とても面倒臭いのです。
「建築家」を夢見て入学してきたほとんどの学生は、ここで「おおー、やっぱ建築ってすげー」と言う人と「こんなわけのわからんことやってられん」と言う人におおまかに分かれます。
前者が、京大フォルマリズムのたまごです。京大フォルマリズムと言われるためには、この「意味のわからないものを咀嚼しないままに「すごい」と結論づける能力」が不可欠だからです(東浩紀さんが「存在論的、郵便的」で「否定神学」と呼んでいるものに近い)。
このようにして京大フォルマリズムが生まれると同時に、「アンチ京大フォルマリズム」もまた生まれます。「わけのわからないもの」をつくってそれが評価されることがおかしい」という考えが次第に先鋭化して、果ては「特徴的な造形はしない」とまで過激化することもあります。
特に2010年の藤村龍至さんの発言以降、ほぼすべての京大生が「アンチ京大フォルマリズム」の罠にはまってしまったと言えるでしょう。
実体のない「京大フォルマリズム」を意識して自らの軌道を変更する、それはまるで「意識の高い学生」論争と似たようなものです。

設計者の彼の「意味のないものは作りたくないと思った」という発言にはまさにそれがあらわれています。
僕は2日目の夜に彼と話をする機会があり、僕は作品について「温泉があるってのがすげーいいよ!だって近所に温泉ほしいもん」と言いました。
「アンチ京大フォルマリズム」に陥ってしまうと、定量化できるものだけに目がいってしまいがちです。しかし、本当に必要なモノは何か。
定量的な判断や機械的な処理はもちろん必要ですが、それは専門の人から見たら「そりゃそうだよね」で終わりです。
僕達が必死にリサーチを行なってドヤ顔でそれを見せた所で、建築家から見れば「へー、で?」ってなりますよそりゃ。
「ビジョン」が必要なのです。それによってどんな生活があるのか。どのように変わるのか。
それが計画系、構造系、環境系とが分離している理由です。ただ単純に「統合の時代だからジェネラリストが最強」と結論づけるのではなくて、なぜ過去の人がそれを採用したのか、ジェネラリストが生まれてこなかったのか。否定だけで捉えるのは「解像度が粗い」と言わざるをえません。

それらは、相反するものではありません。

3日目の彼は、「エネルギー」と共に暮らすという「ビジョン」を少し語っていました。僕のグループの議論でも「エネルギーを感じられるってのがいい」と言う人がかなりいました。

3位 No.068 「ARK」

四日市コンビナートの景色を後世に残したかったので、種子バンクを構想したということを言っていて、腑に落ちました。最初から素直になりゃいいのに、と思いました。
眠いのでこんだけです。

3日間を通して、ある側面を切り出して物事を捉えることの必要性と危うさ、そしてそれを集団的に行なっている「卒業設計」という世界を、その少し外の世界から眺めることができて、よく考えた3日間でした。
僕が一番得たものは、「同世代の面白そうな人々」とのつながりです。
上位に入賞しなくてもアツい思いや思慮深さを持って取り組んでいる人がこんなにもいる、ということはとてもおもしろかった。
3日目は、来場者から見るとつまらないかもしれないけど、参加者としてはとても楽しかった。真剣に議論をするという場が今までなかったので。

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